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第82号 イケア創始者カンプラード氏逝く

1月28日の日曜日、イケアの創始者イングヴァル・カンプラード(Ingvar Kamprad)氏が、91歳で故郷エルムルフトの近くで亡くなられました。当日ちょうど車でスウェーデン第3の都市、マルメへと向かって高速道路を走っていた時、隣に座り携帯でニュースを読んでいた家内から「カンプラード氏が亡くなったみたい…」と聞かされ、高年だっただけに亡くなったか…と思いました。翌日の新聞には、中央紙も地方紙も第一面にカンプラード氏訃報が載っていました。

カンプラード氏訃報を伝える新聞紙面
カンプラード氏訃報を伝える新聞紙面

翌月曜日の午後、筆者はイケアの町、エルムフルトを訪れてみました。当日は風が強く、小雨模様のどんよりした天気で、湿っぽく又薄暗く、なんとなく気分も沈んでくる様な感じでした。イケアの大きい駐車場は車も少なくガランとした感じで、正面入り口の国旗は半分だけ揚げられ、いかにも悲報を象徴しているようでした。

正面入り口を入ったすぐ左側に、小さいテーブルと共にカンプラード氏の写真と花が飾られ、哀悼状のノートが置かれていました。家族連れも含め訪問客の三分の一程が立ち止り哀悼を書いている様でした。そばに立っていた若い女性の従業員に、「沢山の人々が立ち止まっている様ですね…」と尋ねてみたら、「そう、沢山の方々が…ここエルムフルト在住の人が大半だと思います…」と話してくれました。訪問客の中には真っ黒い喪服の女性も見られ少し痛々しい気がしました。イケア内は普段と異なり、何となくガランとした感じで活気がありませんでした。

特設された哀悼状のノートが置かれたテーブル
特設された哀悼状のノートが置かれたテーブル

現在人口約1万7千人のエルムフルト市にはイケアの本社とともに、イケア博物館、イケア家具デパートがあり、総数で約4,000人のイケア従業員が働いています。エルムフルト市はイケアで成り立っているとも言えるでしょう。イケアの町に住んでいる政治家の知人に聞いたら、当日の1月29日の月曜日は市議会の日、会議の初頭に1分間の黙祷がなされたと聞かされました。市長のエヴァ・バロバレ(Eva Ballovarre)さんが、悲報についてラジオで「エルムフルトの住民で、誰一人としてカンプラード氏の影響を受けて無い人はいない」と述べていました。

エルムフルト市役所 弔意を表し半旗が掲げている
エルムフルト市役所 弔意を表し半旗が掲げている

筆者もエルムフルトは隣町と近いだけに、家具以上にその社風やカンプラード氏の経営思想とでも言うのか興味があり、機会がある都度に訪れては今更ながら勉強にもなりました。1926年生まれのカンプラード氏は、エルムフルト市の近くアグナリッドと言う小さい田舎の農場で育ちました。氏は幼少の頃よりビジネスの才に長けていた様で、始めは自転車でマッチを売っていたと言われています。マッチからクリスマスツリー、装飾品、鉛筆やボールペン等を売り、商売を広げて行ったとの事でした。質素倹約のイメージが強く、1度だけ飛行機でもビジネスクラスに乗っただけとの事で、いつもエコノミークラスだったという話は有名です。イケア博物館にも飛行機の事が記されていました。数年前の世界億万長者の番付では第5番目とも書かれていました。遺族は、初婚の妻との間に養子として迎えた娘さんと、再婚後生まれた3人の息子さんで、再婚の妻は7年程前に亡くなり、新聞の記事になっていたのを思い出します。3人の息子さん達はマスコミではあまり目立ちませんが、イケアの要所で働いているのではないかと思われます。カンプラード氏は亡くなられる6、7年前のインタビューでイケアの将来について聞かれ、「株式会社になる事は無い」と述べていました。今後イケアがどの様に発展していくかが注目されています。

哀悼状を書く訪問客
哀悼状を書く訪問客
半旗を掲げるイケア正面前入り口
半旗を掲げるイケア正面前入り口

2018年2月15日
スウェーデン在住、弘前市出身、工藤信彰

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プロフィール

工藤 信彰
Nobuaki Kudo

1949年弘前市生まれ。大学時代に3年程休学し、ヨーロッパを旅したことがきっかけで、大学卒業後スウェーデンに渡る。スウェーデンにてルンド工科大学を卒業し、一般企業へ就職するが、経済学を学ぶため退職しルンド大学経済学部へ入学する。卒業後は1990年~2015年までマルカリド市役所勤務。マルカリド市議会議員(2006年~2018年)を経て、現在は環境党マルカリド党首及び、クロノベリ県議会執行役員を務めている。

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