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第六回 混乱したリンゴの品種名

 わが国のリンゴ産業は、明治の初めに外国から品種を導入してスタートした。

 北海道開拓使がアメリカ・ニューヨーク州の苗木業者に注文したリンゴ・ナシなどの苗木が、開拓使東京第一官園に到着したのは、1872年3月であった。これが日本への公式なリンゴの導入である。開拓使は翌年にもリンゴを導入しており、リンゴでは合わせて75品種となった。その後、1874年に、内務省勧業寮は主にフランスから108品種を導入している。

 明治時代に約270品種が導入されたが、これらにはすべて英名またはフランス名の原名がついている。「国光こっこう」、「紅玉こうぎょく」、「いわい」、「あさひ」など日本名で親しまれていたため、日本原産の品種と思っている人がいても無理のない話である。原名のわずらわしさを避けるため、各地方で独特の品種名をつけて普及させようとしたが、それぞれ勝手な呼び名をつけたために、かえって混乱し収拾がつかなくなった。

 青森県では、初結実した園地名を品種名にしたものに「松井」(緋之衣ひのころも)、「岡本」(君が袖きみがそで)があり、初結実した園地名と熟期を組み合わせたものに山野早生やまのわせ」(紅魁べにさきがけ大導寺中生だいどうじなかて大中だいなか」(祝)がある。枝もたわわに結実することから「千成せんなり」(紅玉こうぎょく)、収穫期に雪を被ることもあることから、「雪の下」(国光)は今でも親しまれている。

紅玉
「千成」とも呼ばれる品種「紅玉」
国光
こちらは「雪の下」とも呼ばれる品種「国光」

山形県では導入の順にイロハの符号をつけはじめたので「キ印」というのがある。これは「国光」のことであり、さぞ困ったことであったであろう。

     

 北海道では開拓使の導入番号で呼ぶものが多かった。今でも年配の人は「14号」(祝)、「12号」(紅絞べにしぼり)、「6号」(紅玉)、「49号」(国光)と呼んでいる。

 このように、各地でいろいろな基準で俗称をつけたため、品種名は大混乱した。そこで品種名を統一すべく、1894年に「苹果名称統一協議会」が発足し、何度も協議を続けるが、各県の代表が自分の県の名称を採用する運動をしたため、かなり紛糾したようである。

 いろいろな経緯があったものの1900年に、今日の「国光」、「紅玉」など56品種の全国統一品種名が決定された。これらの品種名をみると、ちょうど時の皇太子(後の大正天皇)のご成婚があり、皇室の慶事にあやかって命名したものと推定されている。

 品種名統一に7年間を要したことから、この間に生産者による品種の選抜や淘汰が進んだ。最初から品種名統一の協議に参加した恩田鉄弥氏(当時農商務省農事試験場園芸部長)は、1911年に56品種の中から全般に広く栽培されている品種、将来にわたり奨励すべき品種として37品種を選定した。

 この中の数品種は1950年代まで日本のリンゴ産業を支え続けた。37品種中35品種は開拓使が導入したものである。これらの品種は比較的降水量の多いアメリカ東部で育成されたもので、日本の風土に適合したのであろう。

 青森県には1875年に内務省勧業寮から3本の苗木が提供されるが、その初生りは弘前市在府町の山野茂樹氏の宅地(現在の弘前大学医学部構内)であった。品種は「紅魁」で、そこには「りんご初生はつなりの碑」が建っている。

弘前大学医学部構内にある「りんご初生りの碑」
弘前大学医学部構内にある「りんご初生りの碑」

 つがる市桑野木田に3本の「日本一の古木りんご樹(1960年青森県天然記念物指定)」がある。品種は「祝」と「紅絞」で、幹まわりは3m以上、長く張り出した枝に何本もの支柱で支えられている。

祝
つがる市桑木野田にある「日本一の古木りんご樹」、品種は「祝」

 これらの樹は1878年に植えられたもので、樹齢は140年を数える。

 140年も津軽のきびしい風雪に耐え、今なお立派なリンゴをたくさん成らせている樹の姿をみると、神々しいまでの美しさと、たくましさを感じると同時に青森リンゴの生き証人だという気さえする。

(2018/5/31)

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