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第9号 スウェーデンの原子力事情

先日の夕方、こちらに住む日本人の友人から電話がありました。「今、テレビで日本の福島第一原発事故のドキュメンタリーを放映しているけど観てる?」との連絡で、観ていなかった私は急いでテレビのスイッチを入れました。内容は昨年3月11日の東日本大震災による津波により、福島第一原発が事故に至ったいきさつを詳細に紹介し、その事故の被害の深刻さを伝えるドキュメンタリー番組でした。祖国の日本で起こった今回の原発事故。その被害の大きさは想像を絶するものでした。今回は当国スウェーデンの原子力事情についてご紹介しましょう。

被災直後の宮城源石巻市の風景
被災直後の宮城源石巻市の風景

スウェーデンはノーベル賞の生みの親で、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルを生んだ国です。それだけに科学技術は進んでいて、ヨーロッパでは小国(国土面積は大きいが、人口は900万人)ながら、医学とともに科学技術の国として高く評価されています。そのような国柄もあってか、原子力発電の開発においても積極的で、1960年代に初の原子力発電所が建設、稼働されました。その後、数を増やしていき、現在では全国4カ所に合計12基の原子炉があり、稼働しています。原子力発電によるスウェーデン全体での電力供給率は約50%と言われています。日本では20~25%とも聞いているので、スウェーデンはその倍以上にもなり、原子力発電に頼る割合が高い国です。

原子力発電ですが、既に1970年代には反対運動が起こり始めました。筆者が南スウェーデンのルンド工科大学に通っていた頃、当時の首相であるオロフ・パルメが原子力発電の是非を問う国民投票を実施しました。国民投票を前に、原発反対のデモがあちこちで盛んになり、大学街ルンドから25km程離れた原子力発電所のあるバースベック(Barsback)まで行ったデモ行進には、筆者も同僚の学生たちと参加しました。

国民投票の結果は3つに割れ、いずれも過半数は取れませんでしたが、原子力政策はその後、社会民主党政権下の1999年にはバースベック1号基が、そして6年後の2005年には同2号基が閉鎖されました。2006年から政権を握る保守連合政権は原子力発電推進を唱えており、今後の動向が大変気になるところです。昨年3月の福島第一原発事故を受け、ドイツでは事故から4か月後に、連邦首相のアンゲラ・メルケルが、30年以内にドイツ国内における原子力発電の依存度をゼロにすると発表、原子力発電に対する国民の不安を解消するためのこの政策は、世界中の注目を集めました。

バースベック原子力発電所
バースベック原子力発電所

1、2週間程前、閉鎖となったバースベック原子力発電所へ長女と2人で見学に行ってきました。既に原子炉が停止していることもあり、建物はどこか薄暗く、鉄条網に囲まれているため、少し不気味な感じがしました。稼働していた当時は高くそびえ立つ2本の煙突からうっすらと白い煙が出ていて、広い駐車スペースには働く人達の車がぎっしりと停まっていたのですが、今はその面影すらありません。

閑散とした駐車場
閑散とした駐車場

3~4年前、スウェーデン東海岸にあるオスカーハム原子力発電所の地下に作られた原子炉廃棄物処理場、試験場を見学したことがあります。地下500mに大きな廃棄物処理場、保管場を設けた試験場で、原子炉廃棄物を入れるカプセルは分厚い銅製で、5mの深さの穴にひとつひとつ埋め、1万年保存できるように作られているとの説明でした。

科学技術の最先端として発展してきた原子力発電ですが、今回の事故による甚大な被害で、いまさらながら人間の作るものと自然の調和の必要性を強く考えさせられました。

日本国内で起きた原子力事故で史上最悪のレベル7評価(国際原子力事故評価尺度)となった福島第一原発事故。この事故の影響で住み慣れた自宅を離れ、知らない土地での避難生活を余儀なくされた人、丹精込めて育てた農畜産物が放射性物質の暫定規定値を超えたために出荷制限を受け、泣く泣く焼却処分した人など、多くの皆様が苦しく大変な思いをすることになりました。

原発事故以外でも今回の千年に一度とも言われる震災で被災され、津波の影響で大切な家族や仲間を亡くされた方、今も仮設住宅での慣れない生活が続いている方が大勢いらっしゃいます。震災から一年が経ちましたが、復興を遂げるにはまだまだ時間がかかると思います。一日も早く普段通りの生活に戻れるように、同じ東北人として遠い異国の地、スウェーデンから心よりお祈りしております。

2012年3月24日
スウェーデン在住、弘前市出身、工藤信彰

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プロフィール

工藤 信彰
Nobuaki Kudo

1949年弘前市生まれ。大学時代に3年程休学し、ヨーロッパを旅したことがきっかけで、大学卒業後スウェーデンに渡る。スウェーデンにてルンド工科大学を卒業し、一般企業へ就職するが、経済学を学ぶため退職しルンド大学経済学部へ入学する。卒業後は1990年~2015年までマルカリド市役所勤務。マルカリド市議会議員(2006年~2018年)を経て、現在は環境党マルカリド党首及び、クロノベリ県議会執行役員を務めている。

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