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第29号 30年振りのニューヨーク旅行

30年程前にも、アメリカへ旅行に訪れたことがあります。スウェーデン、ルンド工科大学を卒業した後、現地で就職、1年仕事した後の事でした。夏休みが4週間取れたので、何処へ行こうかと思っていた時、一度は行ってみたいと思っていたアメリカに行こうと決めたのでした。ニューヨークから、ナイアガラの滝を見て、カナダへそしてサンフランシスコへと飛び、オリンピックの行われたソルトレイクシティで4、5日過ごして、スウェーデンに戻りました。宿泊はというと当時はあまり持ち金もなく、ルンド留学生の友人、職場の友人、また家内の親戚の所と、居候の様な感じの貧乏旅行でした。反面各土地の友人達を通し現地人達と多いに話し合う事もできました。

ビジネス目的の来訪者も多いをウォールストリート
ビジネス目的の来訪者も多いをウォールストリート

あれから30年程過ぎた今日、子供達もそれぞれ独立した現在、再びアメリカ、ニューヨークへ、更に南米へと家内と旅行に行きました。今回は予算にもゆとりがあったわけではありませんがほとんどがホテル泊まり。好き勝手に旅行出来た反面、現地人とのかつての若い時代の様にディスカッションもできず、ちょっぴり寂しい気持ちもしました。そう自分は異邦人、旅行者なんだとそんな感じでした。

ロンドン経由でニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に着いたのは6月初旬、夕方7時半でした。入国手続きに1時間程かかり、ようやく出口の方へ。そこの旅行案内所でホテルのあるマンハッタンへはどの様に行けば良いだろうかと問い合わせたら、大型の相乗りタクシーが安いだろうとの事で予約をして貰いました。更に30分程待って、9人乗りのタクシーが来たと思ったら、今度はそのタクシーが、あっちこっちの飛行場出口で客を拾って行くので、また皆荷物があるので更に結構時間がかかりました。

同乗のアメリカ人女性から、ニューヨークの旅行の仕方、例えば地下鉄の1週間券を買ったら安いとか、またサービス業、レストラン、飲み屋やタクシーでは10~15%のチップを渡すのが普通とも言われました。同乗人にはイラン人がいて、何処から来たのか?と尋ねたら、「ペルシア」と言われ、アラブ諸国のイランと言わないのがちょっぴり気になりました。

1984年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された自由の女神像
1984年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された自由の女神像

ニューヨークではセントラルパークの直ぐ傍、ブロードウェイと77番通りの角のホテルに5泊しました。ホテルはスウェーデンを出る前にインターネットで予約、部屋は大きく余裕があり、幅2メートル程ある大きいダブルベッド、その上高さが1メートル近く、まさにベットに這い上がる感じでした。風呂はあるものの、バスタブはヨーロッパと違い浅く、どっぷり風呂につかるには物足りない感じで、今更ながらヨーロッパとは違うなと感じました。

マンハッタンの人々のオアシスとなっているセントラルパーク
マンハッタンの人々のオアシスとなっているセントラルパーク

6月上旬のニューヨークは晴天に恵まれ、暖かく北欧から来た我々には早い夏を味わう気持ちで、ウキウキして来ました。セントラルパークをブラブラ歩き、地下鉄でマンハッタン先端へ。遠くに自由の女神を見、更にウオール街へトボトボと歩き、途中でカフェでひと休み。なんとも水っぽい薄いコーヒーでした…。丁度日曜日だったので、背広の人々は少なく、旅行者や家族連れが目立ちました。ウオール街から近くのグランドゼロへ、2001年9月11日のテロ事件から10年以上も経ていながら、未だ現場は工事中で、多くのアメリカ人と思う人々が、見学にと列を作り並んでいました。近くの地下鉄の駅からタイムズスクエアへと、こちらは若者達が目立ち、立ち並ぶ沢山ビルの壁に掛けられたビルボードや巨大スクリーンからは、映画や広告などが映写されていました。

ビルの壁に掛けられたビルボードや巨大スクリーン
ビルの壁に掛けられたビルボードや巨大スクリーン

ニューヨークは人種のルツボと良く言われますが、正にそう思いました。黒人が目立ちアジア人が多く、そして訛りある白人の米語と共にスペイン語が良く聞かれました。フッと思ったのはアラブ人、スウェーデンやフランスのパリで見慣れている様なアラブ人の服装、スカーフ姿が全くと言って良い程見られず、テロ事件の影響かなともフッと思いました。チップをあげる習慣も北欧では無いだけに、始めの頃は戸惑いました。夕方にはホテル近くのブロードウェイでビールを飲みご機嫌、通りを歩く人々を眺め、ニューヨークに来ているのだなーと思いました。

世界貿易センタービル跡地は「グラウンド・ゼロ(爆心地)」とも呼ばれている
世界貿易センタービル跡地は「グラウンド・ゼロ(爆心地)」とも呼ばれている

2013年7月29日
スウェーデン在住、弘前市出身、工藤信彰

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プロフィール

工藤 信彰
Nobuaki Kudo

1949年弘前市生まれ。大学時代に3年程休学し、ヨーロッパを旅したことがきっかけで、大学卒業後スウェーデンに渡る。スウェーデンにてルンド工科大学を卒業し、一般企業へ就職するが、経済学を学ぶため退職しルンド大学経済学部へ入学する。卒業後は1990年~2015年までマルカリド市役所勤務。マルカリド市議会議員(2006年~2018年)を経て、現在は環境党マルカリド党首及び、クロノベリ県議会執行役員を務めている。

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