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第30号 絶景!世界遺産の数々 南米ペルー旅行記

前号ではアメリカ、ニューヨークへの旅行を書きました。今回はその続き、アメリカから南米のペルー行ったのでその旅行記を書いてみましょう。

南米のペルーは日本から見ると太平洋を隔てた地球の反対側の国。南米ではブラジル、アルゼンチン、チリ等と共にペルーはわりと日本人には親しまれている国ではないかと思います。筆者にとっては未だ弘前の高等学校に通っていた頃から、ペルーのインカ帝国の繁栄、衰退の本を読み1度は是非訪れてみたいと思っていました。6~7年前だったか、息子が高校を卒業しその1年後に「パパ、スペイン語の勉強にペルーへ行く予定、行き先はクスコへ…」と言われドキリとしました。 クスコと言えばインカ帝国の首都、どんなにか自分は憧れていたのに息子があっさりと一人で行くと言うのですから……。

インカの巨大な防壁の遺跡跡。夫婦でパチリ☆
インカの巨大な防壁の遺跡跡。夫婦でパチリ☆

今回のアメリカ、ニューヨークへの旅は、むしろペルーへ行く足場とするつもりでした。アメリカで1週間程過ごした後、西海岸のロサンゼルスからペルーの首都リマへ、北半球から赤道を越え南半球へと生まれて初めての旅でした。深夜ロサンゼルスを飛び立った飛行機は9時間後首都リマへと、午前10時には霞んでいた太平洋の海岸、漁船や商船を見ながら飛行場に着きました。何となくみすぼらしい、がらんとしたリマの飛行場、ヨーロッパやアメリカとは違うと思いました。飛行場でのタクシー探しと言うより値段の交渉、スウェーデンを出る前、タクシーの値段を確認してから乗る様に勧められていたのでした。白タクも多く、スーツケースを持っている我々に次々と誘いの声がかかり、家内は疲れ気味…。ホテルはリマ市街から南へ、ミラフローレス地区に予約を入れていました。飛行場から始めの道々は何かみすぼらしい感じで、後進国なのだろうか、とも思ってしまいましたが、その内タクシーはリマの街、大都会を都会を横切り海岸線を抜け、近代的な新興街ミラフローレスに着きホッとしました。ホテルもニューヨーク程では無いけどモダンで、客室係の女性が英語でとても親切に説明してくれたので大変嬉しく思いました。

中心にアルモス広場が見える世界遺産クスコの街
中心にアルモス広場が見える世界遺産クスコの街

特にスウェーデンを出る前、マチュピチュの遺跡への予約が取れずとても心配していたので、彼女が初日から親切に、又テキパキとそれぞれの連絡先に電話を入れ、我々はそれに合わせ旅行社へ列車、登山、遺跡入城の予約をして行きました。

ペルー人はわりと小柄で、特に後日クスコへと行ったら、日焼けした様な色黒の現地人、インディアンが目立ち、余り微笑みも見せない少し不気味な感じすらしたのですが、スペイン語で尋ねるととても親切に手助けしてくれ、驚かされる位でした。家内もアメリカ人とは違うね、と一言。

リマで2泊した後、いよいよ飛行機で待望のクスコへ。クスコは標高3400メートル、家内は高山病になるのではと心配していたのですが、逆に私の方が初日、2日目は少し歩いただけでも直ぐ息がゼーゼーして、ホテルはアルモス広場の傍なのですが、広場を20メートル程歩いては休み、歩いては休みしていました。クスコは正に世界中からの観光客のルツボ、丁度夏至の10日程前、夏至がインティ・ライミ(Inti Raymi)とインカ帝国時代からの最大の祭りの日になっていて、既に我々が到着した頃には毎日の様に広場で民族衣装を着た現地人達が朝から晩まで色々なグループに別れ、それぞれ奇麗な民族衣装を着て踊りを披露していました。音楽は笛と太鼓、弘前のねぷた祭りを思わせました。

アルモス広場で民族踊りの後、子供達の記念撮影
アルモス広場で民族踊りの後、子供達の記念撮影

4、5日クスコ及び近辺をバスツアー等で見学した後、いよいよ遺跡のあるマチュピチュへ。クスコからバスと列車乗り換えで遺跡のある下の村、アグア・カリエンテ(スペイン語:熱い水)へ。リマのホテルの案内人の手助けで、マチュピチュ遺跡から後ろにそびえ立つ、とんがった山、ワイナピチュへの登山への券も入手していました。ワイナピチュは1日に2度開山、1回に200人だけの入山許可なので切符が取れた我々はラッキーでした。

空中都市マチュピチュの遺跡。奥に見えるとんがり山がワイナピチュ
空中都市マチュピチュの遺跡。奥に見えるとんがり山がワイナピチュ

本音を言えば、ワイナピチュがどの山でどの丘なのか分からず、バスで登ったマチュピチュの巨大な遺跡跡から、入山へと門で並んで待っていた時、一緒にいたチリ人に「目の前に3つ程山と丘が見えるけどどの山だろう?」と尋ねました。ところが彼も分からず、お互い何とかなるだろうと笑い合いました。登山口でパスポートの検査、更に登山時間の記入、サインをしていざ登山となったら、何と写真で良く見ていたとんがりの山でした。登山口から3~400メートルの高さなのですが、私は高所恐怖症、家内は数年前膝を骨折、心配にもなりました。

約1時間半後、多分我々は200人中、一番最後(ビリ)で山頂へ到着だったのではと思いますが、晴れ渡った山頂からの景色、遠く下界にマチュピチュの遺跡、そして周りには山、渓谷が見られ、狭い山頂の岩にこびり付きながらも、やったぞ!!とうとう自分はここまで来たんだー!!!と満悦しました。

ワイナピチュからマチュピチュの遺跡の眺め
ワイナピチュからマチュピチュの遺跡の眺め

2013年9月9日
スウェーデン在住、弘前市出身、工藤信彰

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プロフィール

工藤 信彰
Nobuaki Kudo

1949年弘前市生まれ。大学時代に3年程休学し、ヨーロッパを旅したことがきっかけで、大学卒業後スウェーデンに渡る。スウェーデンにてルンド工科大学を卒業し、一般企業へ就職するが、経済学を学ぶため退職しルンド大学経済学部へ入学する。卒業後は1990年~2015年までマルカリド市役所勤務。マルカリド市議会議員(2006年~2018年)を経て、現在は環境党マルカリド党首及び、クロノベリ県議会執行役員を務めている。

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