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第101号 コロナ禍でも家族で楽しめた年末年始 

昨年(2021年)は新型コロナで始まり新型コロナで終わった1年とも言えるでしょう。一昨年の2020年に始まったパンデミック、新型コロナは昨年の夏から秋にかけ下火になりつつあったのですが、11月にはオミクロン株が発生し、隣国デンマークとノルウエーでは爆発的に感染者が増えました。スウェーデンでも感染者が増えるのではと恐れられていたのですが、クリスマス前の12月中旬頃までは静かでした。そのため一昨年の様にクリスマスを家庭で祝う時基本的には8人まで等との忠告も出されませんでした。人々はクリスマスを前にクリスマスプレゼントの買い物や準備へと追われ、我が家でも一昨年のクリスマスよりはずっとオープンに祝えるだろうと、家内を中心に、首都及び地方に住んでいる子供達とも話し合いながらクリスマスの準備が進められました。

クリスマスイブは前年同様、私がサンタクロースに変装して(?)、クリスマスプレゼントをチビ達へ渡しました。前年には小さい子が怖がり泣いたので、今回はサンタクロースの髭を切り取って現れたら、すぐに「おじいちゃん、おじいちゃん(モーファイ、モーファイ)」と言われ、皆に笑われました。大人達のプレゼントについては次女の提案で、1人1品と決めくじ引きの様にして分けたので簡単でした。もっとも、子供達が眠った後の7時半頃から交換を始めたので、ワイン、ビール、炭酸水等を飲みながら、時々子供達の泣き声に親達は各部屋へ走って行きながらも、夜のひと時を皆で簡単なゲームやクイズで楽しみながら雑談、憩いました。

年が明け1月初めに長女家族の住んでいるストックホルムへ行きました。1泊し翌日は長女家族達と車2台で、中部スウェーデンのスキー場へと車を走らせました。ストックホルムから約300キロ北上、義兄の住んでいる町を通り過ぎ、スキー場のあるイェルブシェー(Järvsö)村へと向かいました。南スウェーデンとは異なり、中部スウェーデンでは午後の3時頃から薄暗くなり、長女家族に遅れ我々が到着した4時頃には既に真っ暗で、ゲレンデには灯りが灯された美しい白銀の世界でした。長女家族がゲレンデから200メートル程離れた一軒家を借りていたので、大助かりでした。

翌日は快晴の天気、皆で朝食を食べ窓辺の温度計を見たらマイナス20度、寒いなーと思いつつ外に出たら、オデコを叩かれる様な冷たさ、シバレテいました。長女夫婦は、上の子はスキー学校、2歳足らずの下の子は家内に預けゲレンデへ。私も早速ゲレンデへと後を追う様にリフトへ急ぎました。幸い風は無かったものの、頂上の方は特に空気が冷たく、それでも透き通る様な青空、まだ1月初めなので太陽は地平線近くにとどまり、そして木々は樹氷となっていて、山頂から遠くまで見渡せる風景はとても綺麗でした。3年ぶりのスキー、殆ど人のいないゲレンデを一人ゆっくり滑り降りるのは、何とも言えない満悦感でした。

1~2時間滑った後宿に戻り、みんなで簡単な昼食。午後は1時間程更に滑ったり子供達の相手、3時を過ぎると暗くなり、ゲレンデはサーチライトで明るいのですが、我々シニア組は、チビ達とそり滑り、あるいは家の中で遊んでいました。クリスマスとは異なり人数も少なく、食事の用意等も簡単で、運動にもなりゆっくり眠れて4~5日大いに楽しみました。

新型コロナの話に戻すと、スキー場から戻った1週間後、ストックホルムに住んでいる長男から連絡が入り、新型コロナ、オミクロン株にかかったとの事でした。それから4日程したら今度は南スウェーデンに住んでいる次女からも、長男とは双子だからでもないでしょうが、オミクロン株にかかったと連絡が入りました。幸い2人共軽症で、4~5日後には楽になったと伝えられホッとしました。 昨年、一昨年には長女と三女達が新型コロナに感染していたので、ふっとこの次は家内と共に我々の番だろうかとちょっと不安にも襲われました。

現在スウェーデンではオミクロン株がすごい勢いで広まり、日々5万人から6万人の感染と言われています。当地の市役所に限らず、交通機関、公官庁でも2割位の従業員は感染、あるいは感染者が家庭内にいて、自宅待機・療養となり、社会機能が1部では麻痺しつつあります。幸いオミクロン株は、感染力は高いけど重症になる率が少ない、またスウェーデンではワクチン接種が2回、高齢者では3回と広く接種されているので、今回のオミクロン株の感染は短期間で、軽症に終わるのではないかとも言われていいます。内心ではこんなにも急激に広まると、この春頃までには国民が新型コロナに対し免疫にもなるのではと願ってもいるわけです。

筆者は一昨年、100年前に全世界に広まったパンデミック、「スペイン風邪」の本(ウプサラ大学の博士号論文)を読んだのですが、30年前に書かれたその本によれば、スペイン風邪の全世界の犠牲者は1918年から1919年の1年間で総数は約2千2百万人でした。数字の上では地域的にはアジアが最も多く1千6百万人、それに対してヨーロッパが約2百万人でした。スウェーデンの犠牲者は約2万5千人と記録されていて、日本についても記録されていて、約26万人の犠牲者と書かれていました。今回の新型コロナでは高齢の犠牲者が多いのですが、100年前のスペイン風邪では若者の犠牲者が多数を占めていました。

もっとも、100年前には医療、健康、衛生についての知識は乏しく、勿論ワクチンもなかった時代、比較する事は出来ませんが、スペイン風邪は2年間世界中を脅かした後、スウェーデンでは1920年の春から夏にはほとんど下火となり、消える様に無くなりました。家内にそんな事を説明し「この夏からはまた旅行に行けるね…」と話したら、「また、そんな甘い事を言って…」と小言を言われてる近頃です。私の意見が正しいとは言わないまでも、なんとかスペイン風邪の様にパンデミックが早く終わって欲しいと心から願っている昨今です。

2022年2月11日
スウェーデン在住、弘前市出身、工藤信彰

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プロフィール

工藤 信彰
Nobuaki Kudo

1949年弘前市生まれ。大学時代に3年程休学し、ヨーロッパを旅したことがきっかけで、大学卒業後スウェーデンに渡る。スウェーデンにてルンド工科大学を卒業し、一般企業へ就職するが、経済学を学ぶため退職しルンド大学経済学部へ入学する。卒業後は1990年~2015年までマルカリド市役所勤務。マルカリド市議会議員(2006年~2018年)を経て、現在は環境党マルカリド党首及び、クロノベリ県議会執行役員を務めている。

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