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映画ライター・月永理絵の「りんごと映画、時々恋」
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食べ物としてだけではなく、たくさんの側面を持つ果実。物語の中に出てくるそれは、脇役でありながら観る人に強烈な印象を与える。スクリーンの中でもその存在感は変わらず、観る人を惹きつけるーーー。ここでは、映画ライターの月永理絵さんに、数ある映画の中からスポットを当てていただきます。是非、映画と共に観賞してみてください。

Vol.25 悪い男たちは本当にりんごを齧るのか?


『アネット』

■悪い男たちはいつもりんごを齧る

「MEL Magazine」というウェブマガジンでおもしろい記事を見つけた。タイトルは、「Why Are Movie Bad Guys Always Chomping on Apples?(なぜ映画の中の悪い男たちはいつもりんごを齧っているのか?)」。たとえばライアン・レイノルズ主演の『デッドプール』では、主人公ウェイド/デッドプールの敵役エイジャックス(エド・スクライン)が、不敵な笑みでりんごを齧っているし、『ハリー・ポッター』でハリーと敵対するドラコ・マルフォイ(トム・フェルトン)は、トレードマークのようにいつもりんごを手にしたり齧ったりしている。『フライトナイト/恐怖の夜』でコリン・ファレルが演じる吸血鬼ジェリーも、やはりりんごを齧りながら不気味に登場する。どうやらハリウッド映画では、悪い男はりんごを齧りながらニヤニヤと笑みを浮かべるもの、という奇妙な法則があるらしい。

悪者がしばしばりんごを齧って登場するのは、旧約聖書に基づく「りんご=禁断の実」というイメージのせいだろうか。それとも赤くて丸い形状が画面に強いインパクトをもたらすからか。マフィア映画では非情な悪役がよく赤ワインを飲んでいるように、赤い色は、血のしたたる不気味な雰囲気をかもしだす役割がある。りんごも、一見物騒さとは無縁な果物のようで、その真っ赤な色がどこか暴力や殺人を喚起させるのかもしれない。ただし、悪い男が齧るのは青りんごの場合もあるので、必ずしも色の効果だけではなさそうだ。

同記事では、りんごは、バナナやみかんのように皮を剥いたりする手間がいらないからでは、という指摘もされている。たしかに不敵な笑みを浮かべながら現れた悪役が、おもむろに果物の皮を剥き始めたら滑稽だ。その点、りんごを皮ごと齧りつく様子はワイルドで勇ましく見えるし、固いりんごを思いっきり噛む音は、ちょっとした破壊音のようで凶暴さを感じる。バナナや桃のように柔らかな果物なら、その咀嚼音はもっと優しく、間の抜けたものになるはずだ。

ここでりんごを噛む登場人物として挙げられるのは、男性の悪役ばかり。りんごを齧る女性の登場人物は、継母/魔女に騙されて毒入りのりんごを食べてしまう白雪姫くらいで、悪役というより無垢で純真な人の場合が多いという。たしかに、この連載で取り上げてきたりんごを齧る女性たちには『オズの魔法使』のジュディ・ガーランドや『ユー・ガット・メール』のメグ・ライアンなどがいるが、両者とも悪役とは言い難い。男は自分の強さと悪さを見せつけるためにりんごを齧り、女は純粋さと善良さからりんごを齧る、というわけだ。性別によってりんごがもたらす意味が変わるのは興味深いが、一方で、男性は強く女性は弱いという製作者側の思い込みや先入観が働いているように思えて、残念な気持ちになる。りんごの表象は、性別の違いや善悪の対比を超えて、もっと複雑なものになりえるはずだ。

■『アネット』でりんごを食べるのは誰か?

『アネット』

必ずしも善悪の意味で括れないりんご映画に、レオス・カラックス監督の『アネット』がある。ここには、大きなりんごを丸齧りする女と、どう見ても悪者だがりんごではない別の果物を齧る男が登場する。『汚れた血』『ポンヌフの恋人』『ポーラX』など、愛と狂気に取り憑かれた恋人たちを描き続けてきたカラックスが前作から8年ぶりに発表した『アネット』。ここでもやはり、アンとヘンリーという恋人たちの愛と狂気に満ちた物語が展開される。ただし、真の主人公は二人の間に生まれた娘アネットだ。映画は、ロックバンドのスパークスの原案をもとに、ミュージカル形式でつくられ、赤ん坊のアネット役はなんと人形によって演じられた。

過激なネタで人気を集めるスタンダップコメディアンのヘンリーを演じたのはアダム・ドライバー。そして毎晩悲劇を演じることで世界中の人々を感動させるオペラ歌手のアンを、マリオン・コティヤールが演じている。喜劇と悲劇という、まったく異質な世界に住む二人は熱烈に惹かれあい、愛に溺れていく。だがその愛は、娘アネットの誕生を機に徐々に崩壊に向かう。

おもしろいのは、アンがつねに真っ赤で大きなりんごを傍に置いていること。公演に向かう車の中でも、劇場の控え室で準備をする際にも、家のプールで泳ぐときも、いつだって食べかけのりんごを一個そばに置き、がぶりと齧り付く。そこには合理的な理由がある。栄養たっぷりでヘルシーなりんごを食べることで、自分の体調やスタイルをしっかりと管理しているのだ。だが、あまりにも赤々として大ぶりのりんごはやはり不気味さを感じさせる。白雪姫のように、りんごを食べたアンにはきっと恐ろしい悲劇が起こるはずだと、私たちは考えずにいられない。

■愛し合う二人が陥った狂気の淵

『アネット』

過激さが売り物だったヘンリーは、ある日を境に人気が一気に下降し始める。きっかけは、彼が妻殺しというどう考えても笑えないネタを披露し人々を怖がらせたこと。さらに過去につきあった女性たちへの暴力が告発され、彼は世間から猛バッシングを浴びる。酒に溺れ凶暴性を増していく夫にアンは不安を抱きはじめるが、解決法は見つからない。そして家族で出かけたヨット旅行で、悲劇が起こる。大嵐の夜、アンが甲板から海に滑り落ち、亡くなってしまったのだ。

ヘンリーには妻殺しの疑いがかけられるが、証拠はない。果たして彼は故意に妻を海に突き落としたのか、偶然の事故なのか。すべてを目撃したはずの私たち観客でさえ、真実はよくわからない。それほどに、アダム・ドライバー演じるヘンリーの姿には、恐ろしい何かが宿って見える。そんなある日、ヘンリーはまだ言葉さえ話せない幼いアネットに、驚くような歌の才能があることを知る。その奇跡の歌声に魅了されたヘンリーは、これを利用し大金を稼ごうと決意する。

ヘンリーはどう見ても「悪い男」だ。事故という形であったにせよ、彼は実質的にアンを死に追いやり、自分の娘の才能を食い物にし、自分の利益のためにさらなる殺人に手を染める。けれど彼はりんごを食べない。代わりに、背をかがめ、むしゃむしゃとバナナを食べる。公演前、ボクサーのようなガウンを着た大柄の男が、皮を剥きながらバナナに齧り付く様子はまるで猿のようだ。やがて彼はバナナを食べるのもやめ、ひたすら酒を飲み、タバコを吸い続ける。こうして、アンの死後、あれほど画面に登場していたりんごはいっさい姿を現さなくなる。それとともに、物語はよりダークに、おぞましい方向へと突き進む。

■姿を消したりんごの代わりにあるもの

『アネット』

だが、本当にりんごはもう登場しないのか。姿を消した真っ赤な丸い果実に思いを馳せるうち、ハッとあることに思い当たる。アンがいつも胸に抱いていた、見事に丸々とした球体。赤毛に覆われた小さなアネットの頭部だ。人形が演じているからか、その形状はりんごの形によく似て見える。もしかして、アンは自分の代わりに、大好きなりんごによく似たアネットをヘンリーのもとに残したのではないだろうか。娘の赤い頭部が目に入るたび、ヘンリーの脳裏に、いつもりんごを食べていた自分の姿が浮かぶように。それはもはや呪いだ。

アネットは母の呪いと父の堕落を目にしながらも、奇跡の歌声を響かせるとき以外、一言も口をきかない。母の行方を問うことも、自分を使って金を稼ぐ父を責めたてもせず、静かにそこに存在し続ける。死んでしまったアンの代わりに、そして父の犯した罪の徴であるかのように、黙ってヘンリーの隣にい続ける。

罪の徴に気づいているのかいないのか、ヘンリーはただひたすら堕ちていく。娘の才能を搾取し、女性たちと遊び呆け、酒に溺れる日々。道を誤った彼の運命は、そしてアネットの未来はどこへ向かうのか。歌と音楽とともに奏でられる父娘の物語。その結末は凄惨で、悪に染まった父に救いはない。それでもたしかに愛は存在し、遺された少女の人生は続いていく。そんな一欠片の希望を残して、映画は幕を閉じる。

『アネット』<br>
            監督:レオス・カラックス<br>
            出演:アダム・ドライバー、マリオン・コティヤール、サイモン・ヘルバーグ<br>
						Blu-ray発売中
『アネット』
監督:レオス・カラックス
出演:アダム・ドライバー、マリオン・コティヤール、サイモン・ヘルバーグ

Blu-ray発売中
©2020 CG Cinema International / Theo Films / Tribus P Films International / ARTE France Cinema / UGC Images / DETAiLFILM / Eurospace / Scope Pictures / Wrong men / Rtbf (Televisions belge) / Piano

2023/5/20

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プロフィール

月永理絵

エディター&ライター。『映画酒場』『映画横丁』などの雑誌や、書籍の編集をしながら、ライターとしても活躍している。大学卒業後に小さな出版社で働く傍ら、映画好きが高じて映画評の執筆やパンフの編集などをするように。やがて会社を退職し、現在はフリーランスで活動中。青森市出身で、現在は東京都在住。

映画酒場編集室  http://eigasakaba.net/

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