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映画ライター・月永理絵の「りんごと映画、時々恋」
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食べ物としてだけではなく、たくさんの側面を持つ果実。物語の中に出てくるそれは、脇役でありながら観る人に強烈な印象を与える。スクリーンの中でもその存在感は変わらず、観る人を惹きつけるーーー。ここでは、映画ライターの月永理絵さんに、数ある映画の中からスポットを当てていただきます。是非、映画と共に観賞してみてください。

Vol.11 「りんごの画家」セザンヌの伝記映画にりんごは登場するか


『セザンヌと過ごした時間』
『セザンヌと過ごした時間』
©2016–G FILMS–PATHE–ORANGE STUDIO–FRANCE 2 CINEMA–UMEDIA–ALTER FILMS

■芸術家の破天荒な人生を人は求めてしまう

芸術家の伝記映画を見るたびに、こういう人たちと生活を共にするのは大変そうだな、とつい思ってしまう。もちろんそれは映画だからこそ思うこと。実際は、芸術家だから実生活でも大変な人たちで、それ以外の人は普通の生活を送っている、なんて単純なわけがない。それでも、映画で描かれる芸術家たちはみな揃いも揃って大変な人ばかり。次から次へと女性に手を出し妻を苦しめ続けた男性画家もいれば、自分の作品がなかなか評価されず、貧困と失意に苦しめられた作家も多い。

不幸な人生、破天荒な人生を送った人ほどドラマとして需要される、というのも妙な話だ。貧困と周囲の無理解に苦しみ37歳で自殺を遂げた(事故だったという説もあるようだが)ゴッホの人生など、これまでに何度映画化されたかわからない。とはいえ、非凡な人生だからこうして映画にまでなった、とも言える。順風満帆で平凡な生活を送った芸術家だっていなかったわけではないだろうが、そうした人たちの伝記映画など見たことがない。人はみな、自分の人生にはない激しく強烈なものをこそ、スクリーンの中で見たいと願うのだ。

■セザンヌとゾラ、二人の芸術家の友情劇

『セザンヌと過ごした時間』
『セザンヌと過ごした時間』
©2016–G FILMS–PATHE–ORANGE STUDIO–FRANCE 2 CINEMA–UMEDIA–ALTER FILMS

「近代絵画の父」ポール・セザンヌの没後110年となる2016年に製作された映画『セザンヌと過ごした時間』も、やはり芸術家のやっかいさや苦難の生活を描いた作品。この映画がおもしろいのは、主人公が画家セザンヌ一人ではないこと。フランス語の原題は「Cézanne et moi(セザンヌと私)」。「私」とは、『居酒屋』『ナナ』などで知られる小説家エミール・ゾラ。映画は、実際に親友だったゾラとセザンヌの複雑な愛憎関係を、長い時間をかけ、ときに時系列をシャッフルしながら、ていねいに描いていく。

二人の出会いは、フランス南部のエクス=アン=プロヴァンスでのこと。幼くしてイタリア人の父を亡くし、貧しい母子家庭で育ったエミール・ゾラは、中学校で上級生にいじめられているところを、1学年上で裕福な銀行家の息子ポール・セザンヌに助けられる。境遇の異なる二人はすぐに仲良くなる。その後、ゾラは文学の道へ、セザンヌは画家の道へと進むが、芸術を愛する心は同じ。やがて二人はパリで再会し、マネ、ピサロ、ルノワールなど、芸術家仲間を交えながら友情を育んでいく。

『セザンヌと過ごした時間』
『セザンヌと過ごした時間』
©2016–G FILMS–PATHE–ORANGE STUDIO–FRANCE 2 CINEMA–UMEDIA–ALTER FILMS

ゾラが小説家として着実に出世していくのに対し、セザンヌの絵はなかなか周囲に認められない。どんどん生活が困窮していくセザンヌは、田舎に引きこもり、その鬱屈した思いを妻や子、友人たちに遠慮なくぶつけていく。せっかく描いた絵をモデルの目の前で破り捨て、女性に対し侮辱的な言葉を投げつけるなど、わがままで人を怒らせてばかりいる。悪魔のような男とはいえないが、それでもこんな人とは絶対に一緒にいたくない、と思わせるようなやっかいさだ。

一方のゾラは、そんな親友をいつも理性的になだめている。窮乏生活を送るセザンヌと妻子を経済的に援助し、彼の両親との間を取り持ったりもする。その関係は、才能豊かだが不遇のため身を持ち崩した画家と、親友の才能を信じて応援する愛情深い作家といった様子。だが、実際の二人の関係はもっと複雑だ。ゾラが結婚した相手はかつてのセザンヌの恋人だし、すっかりブルジョワ化したゾラをセザンヌは皮肉るが、自分が彼から施しを受けていることには目を向けない。また、ゾラは画家マネに心酔し彼を熱心に擁護するが、それがセザンヌには気に食わない。なぜ自分を一番に擁護してくれていないのかと文句ばかり。喧嘩をしてはまた和解をし、また言い争いが始まる。それでも友情の絆は途切れなかった。

そんな二人の関係に、ある日大きな亀裂が生じる。1886年にゾラがセザンヌをモデルに書いた小説『制作』をきっかけだ。これまでは、この小説により二人の関係は決定的に壊れたと言われてきたが、映画は、のちに発掘された手紙をもとに、新たな視点でその複雑な関係を紐解いていく。二人の間に何があったのか。友情は本当に途絶えてしまったのか。「これが真実です」と断言できるものは何もない。とはいえ映画を見ると、頑固で扱いづらいセザンヌを理性的なゾラが支えた、という一面的な見方はできなくなる。現実とはもっと複雑で奇妙で、だからこそおもしろいものなのだ。

■なかなか現れないりんごの絵

『セザンヌと過ごした時間』
『セザンヌと過ごした時間』
©2016–G FILMS–PATHE–ORANGE STUDIO–FRANCE 2 CINEMA–UMEDIA–ALTER FILMS

ところで、セザンヌといえばやはり思い浮かべるのはりんごの絵。彼が生涯で描いたりんごの絵は60点以上と言われている。故郷のサント=ヴィクトワール山と並んで、りんごは終生セザンヌの重要なモデルであり続けた。映画の最初の方で、りんごが登場する名シーンがある。自分を助けてくれたお礼に、ゾラがセザンヌの家にりんごを届けに行くシーン。籠いっぱいに入った山盛りのりんごは、のちにセザンヌが描き続けることになる静物画のりんごを否応なく思い起こさせる。これがそもそもの始まりだ、と言っているかのようだ。

ただし、このシーン以降、りんごはぱったりと画面から姿を消してしまう。セザンヌが絵を描く場面は何度も登場するのに、りんごだけはまったく登場しない。その代わり、言葉の上では、何度も何度もこの果物が登場する。身じろぎするモデルに対し、「動くんじゃない!りんごなら動かないぞ!」と無茶な罵声を浴びせるセザンヌ。『制作』のモデルは必ずしも君というわけじゃない、と弁明するゾラに「「りんごと壺の静物画を描く画家」なんて、他に誰がいるんだ?」と皮肉を浴びせるシーンでは、セザンヌでなくとも苦笑してしまう。

『セザンヌと過ごした時間』
『セザンヌと過ごした時間』
©2016–G FILMS–PATHE–ORANGE STUDIO–FRANCE 2 CINEMA–UMEDIA–ALTER FILMS

こうしたセリフのやりとりを聞くだけでも、監督が意図的にこの重要なアイテムを画面から外したのはたしかだろう。りんごの絵といえばセザンヌ。そんな一般的なイメージを逆手にとり、あえてここでは登場させない、というわけだ。だからこそ、セザンヌの描いた絵がちらりとでも映ると、そこにりんごが描かれていないか、つい必死で探してしまう。隠されるとよけいに見たくなる。それが観客の心理というもの。

ちなみに、映画のなかで、セザンヌの絵はかなりぞんざいな扱いを受けつづける。画家自らがびりびりと破り捨てることもあれば、その価値を認めない周囲の人間が外に放り投げたりもする。そうしたたくさんの絵のなかに、もしかするとりんごの絵が紛れているかもしれない。この映画を見るときは、ぜひ隅々まで目をこらし、どこかにりんごが隠れていないか探してみてほしい。

『セザンヌと過ごした時間』<br>
            監督:ダニエル・トンプソン<br>
            出演:ギヨーム・カネ、ギヨーム・ガリエンヌ、アリス・ポル、デボラ・フランソワ、サビーヌ・アゼマほか<br>
            配給:セテラ・インターナショナル
『セザンヌと過ごした時間』
監督:ダニエル・トンプソン
出演:ギヨーム・カネ、ギヨーム・ガリエンヌ、アリス・ポル、デボラ・フランソワ、サビーヌ・アゼマほか
配給:セテラ・インターナショナル
ブルーレイ発売中
ブルーレイ ¥4,700+税
DVD ¥3,800+税
発売:シネマクガフィン
販売:株式会社ポニーキャニオン
©2016–G FILMS–PATHE–ORANGE STUDIO–FRANCE 2 CINEMA–UMEDIA–ALTER FILMS

2020/6/30

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プロフィール

月永理絵

エディター&ライター。『映画酒場』『映画横丁』などの雑誌や、書籍の編集をしながら、ライターとしても活躍している。大学卒業後に小さな出版社で働く傍ら、映画好きが高じて映画評の執筆やパンフの編集などをするように。やがて会社を退職し、現在はフリーランスで活動中。青森市出身で、現在は東京都在住。

映画酒場編集室  http://eigasakaba.net/

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