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第12回 リンゴの花と授粉

「津軽を訪ねたいが、いつが一番いいですか」と聞かれると「リンゴの花咲くころ」といつも言っている。

「リンゴの花は、近くで見れば淡いピンクと薄い白の花であり、遠くから見れば白い花ぐもりであり、山河が全体として匂ってくるようである。それが津軽の春である」――津川武一の小説(綱子のりんご日記)の一節である。

 弘前市石川から百沢まで20kmにわたり、リンゴ輸送基幹道路「アップル・ロード」が通っている。この道路の両側にリンゴ園が広がっており、岩木山を背景に四季折々美しい変化を示す。特にリンゴの花咲くころは最高で、世界に誇る景観であると思う。

アップルロード
アップルロード

 アメリカやヨーロッパでは、リンゴの仲間である「クラブ・アップル」が庭木や街路樹として広く用いられている。花の色は純白、ピンク、赤紫と変化に富み「バン・エセルタイン」のように花弁が大きく15枚もある、八重で、とてもリンゴの仲間と思えない品種もある。

 リンゴの花言葉にはいろいろある。4月8日の誕生花はリンゴ。花言葉は「清純」である。一番ぴったりする。

 〇 リンゴの花

 リンゴの花は、前年の夏に短い枝に形成される花芽から1個所に5~6個のつぼみが付き、その中心から咲き始める。開花から花が散るまでの期間は10日くらいである。

 花は5枚の花弁と16~20本の雄しべ、1本の雌しべからなっている。リンゴの花は、1つの花に完全な雄しべと雌しべが同居しているが、自分の花粉(同じ品種の花粉)で受精することはできない。安定したリンゴ生産のためには授粉を手助けする必要がある。

 〇 人手授粉

 青森県における人手授粉に関する試験研究は1915年から行われたが、本格的に実施されたのは1955年ころからである。

 当初は青森県のリンゴ生産量変動に最も影響するモニリア病の柱頭侵入を予防する手段として、開花前のつぼみ期に人手授粉が行われた。モニリア病の分生胞子による柱頭侵入の前に授精をさせることを目的とした。

 しかし、有効な殺菌剤や共同防除の普及により、モニリア病は葉ぐされの段階(発芽後間もない展葉期の感染。病気の初期段階にあたる)で防除が可能となった。その一方では訪花昆虫が減少し、人手授粉は結実確保と良品生産の手段として重要視されるようになった。1956年からは葯の採取から、授粉のための花粉調整、授粉作業の進め方、花粉の貯蔵技術までマニュアル化され、人手授粉は広く普及した。

人手授粉の様子
人手授粉の様子

 人手授粉の作業は中心花の開花期間に延50~60万人の労力を10日間くらいに集中しなくてはならなかった。このため学童の臨時休校や自衛隊などの授農が行われたとし、社会的な批判を受ける状態であった。

 開花期の遅い「国光」の減少など品種構成の変化により開花期間が短縮し、労働力の集中化が顕著となり人手授粉の全面的実施は困難となった。並行して試験研究が進められてきた昆虫による授粉に移動せざるを得なくなってきた。

 〇 マメコバチによる授粉

 マメコバチは津軽地方に古くから分布していたもので、かやぶき屋根のアシ筒に巣をつくることが農家の間ではよく知られていた。子供たちはマメコバチの巣を割って中の花粉の塊を食べていたという。花粉の塊がきな粉(豆粉)のような色と形をしていたことから、マメコバチの名称がついたと言われている。マメコバチはリンゴの授粉に利用される以前から津軽に住む人達と密接な関係をもっていたのである。

 マメコバチをリンゴの授粉に利用することを最初に試みたのは鶴田町の松山栄久であった。1940年代からアシ筒を利用してマメコバチの増殖を試み、リンゴ園内の小屋の軒下に取りつける方法を、近隣のリンゴ農家に勧めた。

リンゴ園内の小屋に取り付けられたマメコバチの巣箱
リンゴ園内の小屋に取り付けられたマメコバチの巣箱

 一方、藤崎町の竹嶋儀助も1950年ころから飼育を始め、1958年に「マメコ蜂とりんごの交配」を刊行、1965年に改訂版を出した。これはその後リンゴ農家に飼育技術を習得させる上で、大きな役割を果たした。

 青森県りんご試験場においても、1962年よりマメコバチの分布、生活史、増殖阻害要因解明などの基礎試験が開始された。その後、天敵駆除、低温貯蔵による成虫活動の調節などリンゴ農家が利用しやすい管理技術を確立し、1968年に青森県の指導要項として取り上げられた。

 マメコバチがリンゴ授粉用に飼育されてから約75年、普及技術に移されてから51年経過した。現在、県下のリンゴ園で広く利用されており、結実確保に欠かせないものになっている。

りんごの花とマメコバチ
りんごの花とマメコバチ

 民間人および研究機関の努力、リンゴ農家の創意工夫によって確立したこの技術は大いに評価すべきである。外国からも注目されており、青森県のリンゴ農家は訪花昆虫を利用する面で、問題なく世界の最先端をいっている。

 しかしながら、最近の生産現場では、マメコバチが「生きもの」だということを忘れたような飼育管理が一部見られることもある。授粉の手助けをしてくれるありがたい「生きもの」ということを忘れ、当たり前に毎年巣箱を置くだけで授粉してくれるものとして扱われることは、マメコバチの繁殖を阻害することとなる。このため園地によってマメコバチの数が不足しているため結実確保に十分利用できなったりする場合がある。

 何事も当たり前になることが一番の問題である。情報が溢れている現代において、これをやっておけばよいといって当たり前に作業するのではなく、常に観察することを忘れず、初心に帰り、基本を忠実に実行することが重要である。

(2019/5/10)

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プロフィール

一木 茂

元青森県りんご試験場長。現在はりんごについて広めるべく、筆を執る。

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