音楽ライター・オラシオの
「りんごと音楽」
~ りんごにまつわるエトセトラ ~

vol.16 畑違いのリンゴが生る

先日NHK総合の人気番組「ブラタモリ」で、待望の弘前編が放送されました。ご覧になった方もたくさんいらっしゃるかと思います。もちろん私も観ました。番組のホームページで調べたのですが、第78回目にして初の青森県ロケでした。タモリさんも弘前に来るのは高校の修学旅行以来だとおっしゃっています。やっぱり東北や北海道ロケはまだまだ少ないですね。これから増えるんでしょうか。

禅林街
ブラタモリで一行が歩いた禅林街

そのブラタモリ弘前編で、興味深いトピックが紹介されていました。現在国内の6割近くの収穫量を誇る青森県のリンゴですが、その栽培はもともと弘前の武士、菊池楯衛がはじめたものなのだというのです。私もいちおう青森県民の端くれなのですが、恥ずかしながら存じ上げませんでした。すみません。彼が生まれた1846年は江戸時代最末期の弘化3年。7年後の1853年(嘉永6年)には「ペリーの黒船」により開国を余儀なくされるものの、士農工商の階級分けが社会の秩序で、武士と農家は同じ日本にいながらまったく別の世界に住んでいたと言ってもいい時代です。実際、武士が農業をするのは禁じられていたようです。

しかし菊池はその果敢にボーダーラインを踏み越え、現在のリンゴ王国青森県の基礎を作り上げたのです。もちろん、彼が20代前半の1868年には黒船来襲をはじめとして大政奉還などのいくつかのパラダイム・チェンジを経て江戸幕府が消滅してしまいますから、そうした新しい時代の足音が彼の背中を押したことは想像に難くありません。ちなみに、菊池は農業関係の資料を集めた、現代で言う図書館にあたる「農書閲覧所」を設立していますし、弘前の重要な観光資源となっている弘前城の桜も、彼が苗木を植えたことからはじまっているそうです。なんか、すごいですね。

弘前の桜
菊池さんのおかげで毎年楽しめる弘前の桜

番組で紹介された菊池楯衛の偉人ぶりを見ていて、私の脳裏によぎったのは「そう言えば、最近は面白い文章を書くミュージシャンが飛躍的に増えたなあ」ということでした。菊池が、自分の属するサムライの世界とは畑違いの農業に手を出して成功した逸話が、ジャンルを股にかけて活躍するマルチ・アーティストや、華麗なる転身を果たした人たちを思い起こさせたのです。畑違いの世界で成功した人なら、今なら多くの人がお笑い芸人の又吉直樹を思い浮かべるでしょう。彼のはじめての中篇小説『火花』が第153回芥川賞を受賞したことは、いろんな意味で衝撃でしたよね。

ミュージシャンで面白い文章を書くと言えば、サックス奏者・作曲家の菊地成孔が筆頭に挙げられるでしょう。楯衛と同じ名字なのは偶然です。ミュージシャンが音楽ネタで魅力ある文章を書くことはよくありますが、菊地成孔は映画評論から格闘技まで話題は縦横無尽。博覧強記とめまいを起こすほどの濃密な独特の文体で、多くの読者を虜にしています。八戸市出身の音楽評論家、サックス奏者の大谷能生との数多くの共著もよく知られています。東京ザヴィヌルバッハ、DCPRG、菊地成孔ダブ・セプテットなどなど彼の結成したグループはいずれも話題を呼び、演奏と評論の双方から音楽を進化させる新しいタイプのスターだと言えます。菊地の登場は「ミュージシャンなのに文章が面白い」ではなくて「ミュージシャンだから文章も面白い」という概念を作りました。

菊地成孔のプロジェクトの一つdCprGの最新作『フランツ・カフカのサウス・アメリカ』より。
トランペットの類家心平は八戸市出身です

その菊地とアルバム『花と水』『南米のエリザベス・テイラー』などで共演したピアニスト南博も名文家として知られており、特に初のエッセイ集『白鍵と黒鍵の間に』は大変に評価が高い1冊です。ジャズ・ピアニストで名文家と言えば山下洋輔を避けて通るわけにはいかないでしょう。自身のツアー体験を綴ったエッセイ集『ピアニストを笑え!』『ピアノ弾き乱入元年』や自伝的小説『ドバラダ門』『ドファララ門』などが有名です。彼こそが日本で「文章を書くミュージシャン」の地位を確立したと言っても過言ではありません。あとは何と言ってもパンクミュージシャン町田町蔵だった町田康ですね。町田の小説は多くのフォロワーを生み出し、現代日本小説界に一つの潮流を作ったと思います。

近年はDJの大塚広子やジャズ作曲家の挾間美帆ら若い世代の演奏家・作曲家もCDのライナー執筆や音楽解説などで少しずつライティングの世界に参入してきています。私の友人でワルシャワ在住のピアニスト・作曲家の横山起朗も優れた文筆家で、雑誌『月刊ショパン』や故郷の宮崎の宮崎日日新聞でエッセイを連載しています。私たち「物書き専門」のライターにとっては、畑違いの執筆者の相次ぐ登場は来たる生存競争の激しさを予想させるのですが(笑)読者にとっては面白いもの、新しいものがどんどん出てくる贅沢な環境だと言えるでしょう。

若手作曲家・横山起朗のオリジナル曲は、聴き手の心にそっと語りかけてきます

逆に、本来は別の世界の住人だったはずの人がプロの音楽家としても成功するというパターンもあります。ジャズファンであれば、現代ジャズを代表するサックス奏者ジョシュア・レッドマンのことを真っ先に考えるかもしれません。彼は最初医師を目指してハーバード大学で医学を学びはじめ、そのあと突然法律関係に目覚めて今度はイエール大学のロースクールに入学。成績上位で卒業します。しかしその後またまた突然彼はサックスにハマりはじめ、結局医学でも法学でもなくプロのジャズミュージシャンとしてデビューすることになるのです。天は二物も三物も一人の人間に与えてしまいました。

日本人でも、国際数学オリンピックの金メダリスト(日本人女性初)で数学の著書もあるピアニスト、中島さち子のようなハイパーインテリ・ミュージシャンがいます。私が個人的に知っている人だと、今はニューヨークで活躍するポーランド人ギタリスト、ラファウ・サルネツキは大学生時代、物理オリンピックのポーランド代表になりました。

中島さち子とヴィブラフォンの山田あずさのデュオ。会場のKAKULULUは奥池袋の新しい名所。過ごしやすいカフェなのでおススメです

又吉直樹の芥川賞受賞もそうですが、しばし彼ら彼女らのような「越境者」は議論の的になります。その理由の一つには「片手間でやっている」という風に見られがちだということが挙げられます。なんか、ぱぱっと趣味でやったことが運よく評価され、注目を浴びたように見えちゃうんでしょうね。音楽でも文章でも学問でもいいですが、その道一筋なのに芽が出ない人も星の数ほどいるわけで、そういう人たちから見れば「たまたまフロックで一時的にもてはやされているだけ」というのは安心できるストーリーなのでしょう。私も凡人で、それこそたまたま物書きの仕事をやっているだけなので、同じ凡人として気持ちはよく解ります。しかし、ほんとうに一朝一夕にできたものだと言えるのでしょうか。

おいしいリンゴの実がひとつできるのには、本連載vol.10でも触れたように気が遠くなるほどの手間がかかっているわけですが、もうひとつ大事な要素があります。水や土、空気などといった自然環境です。リンゴに限らず、お米や野菜、畜産にお酒などの加工品などなど何でもそうなのですが、それらが作り出されるためには土地の環境条件が大きくものを言います。それは、その人が育ってきたバックグラウンドに例えられるのではないでしょうか。

豊かな自然
青森のリンゴを育む、豊かな自然

例えば又吉は芸能界では読書家として知られていたそうです。ものすごくたくさんの本に触れてきたのです。ジョシュア・レッドマンは伝説的なジャズ・サックス奏者デューイ・レッドマンの息子で、幼い頃からサックスやいろんな音楽に慣れ親しんでいました。菊地成孔のお兄さんは作家の菊地秀行で、成孔はお兄さんが文章の創作にのめり込む様子を大なり小なり間近に見ていたはずです。リンゴにおける土や空気のように、読書体験やたくさんの音楽を日常の中で浴びてきたことが彼らの血や肉となって、少しずつその感性を育てていったのでしょう。良い水も土もきれいな空気もないところに決しておいしい野菜や果物が採れないのと同じで、そうした豊かな時間がなければ、きっと今の彼らもなかったと思うのです。

たわわに実ったリンゴ
たわわに実ったリンゴ。畑違いの菊池さんが広めてくれたおかげで、今や青森県はリンゴ王国です

芸術に触れる時、私たちはついつい努力や才能、やる気の有無のほうに目を向けがちなのですが、むしろリンゴと同じなのです。リンゴの実をかじる時に弘前の風土に想いを馳せるように、そのアーティストが私たちと同じ一人の人間としてそれまでの人生で重ねてきた時間について想像してみるというのはいかがでしょう。彼ら彼女らにとっての土は、水はいったいなんなのか。菊池楯衛がリンゴの栽培や桜の移殖に成功したのは、彼が弘前で生まれ育った時間の蓄積があったからです。きっと彼は、愛する弘前の風土をよく観察していたはずなんです。私たちが手に取るリンゴには、遠い昔に菊池が送った人生が凝縮されているんだと、私は思います。

2017/7/21

Profile

オラシオ

ポーランドジャズをこよなく愛する大阪出身の音楽ライター。現在は青森市在住。

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