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音楽ライター・オラシオの
「りんごと音楽」
~ りんごにまつわるエトセトラ ~

vol.31 味覚がヴァーチャルになる日

コロナウイルスの蔓延で生活や仕事のリモート化が進み、これまで以上に「ヴァーチャル・テクノロジー」に注目が集まるような気がしています。ジャズダンスを習っているという知人が先日こんなことを言っていました。

「ダンスは教室に通わなければ習えないものだと思い込んでいたけれど、アプリを使えば自宅でも先生と一緒に踊れるし、同じダンス教室の生徒たちともおしゃべりできる。自分がこの教室に求めているものはリモート化しても得られるし、意外とそれで満足できてしまうことに気がついた」

この感覚を象徴した現象が「リモート飲み会」でしょう。みんな自宅にいながらアプリで顔見せしつつ「かんぱ~い!」とかやるのです。お酒が飲めて、気の置けない仲間と会話できれば飲み会が成立してしまう。疲れたら離脱してすぐ寝ればいいし、あまり人目を気にせず楽な格好もできる。お店のメニューにしばられず、自分の好きな味のお酒を飲めるし、お酒を無理強いする「アルハラ」や酔った勢いの「セクハラ」もこの環境だと間違いなく減ります。これまでの「リアル飲み会」にはなかったメリットもありますね。この新しい文化がますます定着していくのでしょうか。

しかし一方で、飲み会ならではの「お店のざわめき」みたいなものはなくなってしまいます。周りがさわがしい中で、仲間同士一つの場所に集まって飲み交わす。飲み会の時の独特の高揚感、一体感はただ単にお酒による酔いのせいだけではないと思うのです。これからリモート飲み会が増えていくのかどうかは、飲み会に何を求める人がどれくらいいるのかによるのでしょう。つまり、お店のざわめきのような「お酒と会話以外の要素」を単なる付属物と捉えるか、なくてはいけないものと感じるかどうかということです。

最近は置いている居酒屋も増えた、リンゴのお酒シードル

元・図書館員で、今は陸奥新報で「図書館ウォーカー」というエッセイを連載しているので「図書館はどれだけヴァーチャル化できるか」というテーマが個人的にけっこう気になっています。多くの人にとって図書館とは「本を借りる施設」であって、それ以上でも以下でもないという感じではないでしょうか。という視点から見ると、図書館の完全ヴァーチャル化はすぐそこ、のような気もしますね。というのも、まず先立って「書籍のヴァーチャル化」がかなり進んでいるんですよね。そう、電子書籍です。

電子書籍を認めるか認めないか論争はけっこう根強いのですが、産まれた時からインターネットやパソコンが当たり前のデジタルネイティヴ以降の世代で「紙の本じゃないと読んだ気にならない」という人はほとんどいないんじゃないでしょうか。ちなみにおっさんの僕はマンガだと電子OKで、活字だと読みにくいと感じます。とは言え、活字のものは違和感があるだけで、電子書籍否定派ではないです。たとえば音楽に関する本だと、試聴リンクや動画を載せたりできるので電子書籍のほうがより面白いものができる可能性があります。

愛知県の小牧市立図書館。今までで一番衝撃を受けた図書館建築かも。「図書館ウォーカー」第17回で紹介しています

ただ、図書館って「読みたい本が決まっている」時だけに行くもんじゃないんですよね。適当に館内をぶらぶらしていて、目に付いた本を手に取ることもあるはずです。そのような行動のことを「ブラウジング」と言います。しかしそれは書店も同じでは? いいえ違います。書店はやっぱり「本をできるだけたくさん売る」場所なんです。その時売れている本、取次からたくさん送られてきた本を目立つように、かつ広く展示します。書店の中をぶらぶらしても、そういうもののほうが目に付きやすく「出合い度」は決して平等ではない。そして、基本的に「今」の本しか置いていません。ところが図書館は売れ行きや新旧に関係なく本が並べられています。本という情報と人とのつながりをできるだけたくさん作るのも、図書館の役割の一つです。

しかしもし、図書館内や本棚(図書館界では「書架」と呼びます)の様子をヴァーチャルで見られるようになったらどうなんでしょう。3D映像で図書館をぶらついて書架を流し見するのと同じことができるのなら、そして気になった本の中身をチェックでき好きな本を電子で借りられるなら、リアルの図書館は要らなくなってしまうのでしょうか。

視覚と聴覚はヴァーチャル化しやすいと言われています。音楽はどうでしょうか。コロナ禍以前からアプリを使った「リモート・セッション」はかなりの精度で可能になっていました。そういうCM、観たことありますよね。しかし今のところは、かつてCDがレコードを追い越したように、スマホがガラケーを駆逐したようにリモート・セッションがライヴを押しのけてメインストリームになることはありません。なぜかと言うと「その場で聴く音のほうが圧倒的に良い」という厳然たる事実があるからです。とは言えこれも、テクノロジーが進化するとどうなるかわかりません。

リモート・セッションの一例。東京のジャズ・ミュージシャンたちが中心になって、リモート・ビッグバンドで演奏。ピーター・アースキンやボブ・ジェームスなど世界的巨匠がゲスト参加しているのはリモートならではのお楽しみでしょう

一方でヴァーチャルになりにくいのは五感の残り、味覚・嗅覚・触覚です。ヴァーチャル化しにくいというのはつまり、リモートで楽しむサービスを提供しにくいのと同じと言ってもいいでしょう。YouTubeやSpotifyみたいな動画・音楽配信サービスはバンバン盛り上がっているのに、味や香り、触り心地などを自宅や外で自由に楽しめるものは今もほとんどありません。これらも、いずれテクノロジーが解決してしまうのでしょうか。

味は、化学成分が生み出す5つの要素(甘味、酸味、塩味、苦味、うま味)の組み合わせで成り立っています。ということは、VRゴーグルみたいに舌に装着しておいしいものの化学成分を知覚させるような装置があれば実際には食べていないものの味を味わえるようになるのでは。しかしそれでも「食」という行為がヴァーチャルに追い越されることはないと思います。

品種名は左から「紅玉」「ひろさきふじ」「トキ」

リンゴで例えてみましょう。僕たちはいったい、品種の違いをどのように味わい分けているでしょうか。単なる「味」だけではなく、実や皮の食感、果汁の多い少ないとか舌ざわり、そして香りや実の色合いなどを同時に楽しんでいるはずです。味を形成する成分だけでなく、もっとたくさんの情報が合体して味は成り立っているのです。味覚は五感の中で一番「複合的」な感覚と言ってもいいでしょう。つまりテクノロジーで再現するのがとても難しい。

「AIが人間から仕事を奪う」的なトピックが時々話題になりますが、AIやテクノロジーの未来は「人間のかわりをする」ではなくて、「人間をサポートする」のほうにあるように思います。ヴァーチャル味覚も「世界のあらゆるリンゴの品種の味を食べずに楽しめる」とかではなく、たとえば味覚障害の人が味を知覚できるようなシステムなら可能でしょうし、心理的な抵抗もないような気がするのですが。

味覚障害を公表するミュージシャンの一人、ポルカの雫。かなり戦略的なマーケティングでも知られています。「自分が作りたいものは別にないので、みんなが聴きたいものを作る」という姿勢は作詞家・プロデューサーの秋元康に相通じるものが

味覚障害は語られることが少ないですが、音楽の世界でもスティーヴィー・ワンダーや、日本のバンド「ポルカドット・スティングレイ」の雫が味覚障害を持つことを公表しています。ほんの少し未来に、この二人も自分の舌と口で多彩なリンゴの品種を「味わい分ける」世界が待っているのかもしれません。

2020/8/25

Profile

オラシオ

ポーランドジャズをこよなく愛する大阪出身の音楽ライター。現在は青森市在住。

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