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音楽ライター・オラシオの
「りんごと音楽」
~ りんごにまつわるエトセトラ ~

vol.40 天才の条件

先月から今月にかけて、テレビではオリンピックやパラリンピック関連の放送が続いています。新記録を出したりメダルを取ったりする選手はもちろんのこと、それぞれの国の「いちばんすごい人」が出場しているわけですから、みんな「天才」なんですよね。選ばれし者ってやつです。

みなさんは「天才」と聞くと誰を思い浮かべますか。10年以上も前のことですが、そういう話を大学時代の後輩としていたら、彼は「ボルツマンに決まってますよ」と即答。はあ?誰だそりゃ。ボルツマンは、ルートヴィッヒ・ボルツマンという名前で、ウィーン出身の物理学者。後輩が言うには、ボルツマンの熱力学がなかったらうんたらかんたら。まあとにかく今の世界が違ったものになっていたんだそうです。その後輩は物理学専攻だったんですね。

僕は超文系人間なので彼の言う内容はその時も理解できませんでしたし、今こうして原稿を書くためにウィキペディアを読んでもちんぷんかんぷんです。ウィキに書かれていたことの中では、彼がアマチュアのピアノ・プレイヤーで、小さい頃は大作曲家のアントン・ブルックナーから習っていたというどうでもいいことのほうが気になりました。でも、その場にいたもう一人の後輩(やはり理系)も「ボルツマンかあ、なるほど」と言ってましたから、理系出身の人なら誰でも知っている偉大な物理学者なのでしょう。

僕がその時思い浮かべたのは、ブラジルの作曲家でマルチプレイヤーのエルメート・パスコアルです。ジャズ、クラシック、ポップミュージックなどジャンルを問わず国内のあらゆるミュージシャンから尊敬を集めるすごい人で、超絶技巧の演奏技術とエルメート印とでも言うべき独自の音楽ヴィジョンを併せ持つ、現人神のような存在です。

後から出てくる帽子のおじいさんがエルメート。黒人ながらアルビノなのでこういうルックスです。最後のほうでは薬缶も演奏します

では、天才の条件とはなんでしょうか。天才ってどういう人のことを言うの? このトピックはしばしば話題になります。世の中には多様な「天才と呼ばれる人」がいて、よく聞く言葉ではあるものの、実は明確な定義はありません。ただし人が天才と呼ぶ人の属性には何となく一定の傾向があるように思います。あくまで僕個人の感覚ですが、天才には大きく分けて次の3つの特徴があります。

1つは「誰もまねできないレベルのことをやる」、2つ目は「習得速度が超人的」、そして3つ目は「既成概念を変える」です。

1はわかりやすいですよね。音楽ならモーツァルトとか、スポーツならロジャー・フェデラーとかマイケル・フェルプスとか。僕にとっての天才エルメートもこのカテゴリでしょう。2つ目は天才の若い頃のエピソードとして挙げられることが多いです。自分は1ヵ月経ってもまともに弾けなかった楽器をあいつは3日でマスターしていたとか、はじめてボールを蹴ったのに何分間もリフティングを続けていたとか。

3つ目はわかりにくいですが、その人の業績によって世界の未来が変わっちゃう的なやつです。新しいプラットフォームを作ると言うか。最初に挙げたボルツマンや作曲家のクロード・ドビュッシーなんかはここに入ると思います。

ピアニスト長尾洋史さんによるドビュッシー前奏曲集第1巻。あらゆるピアノ曲の中の最高峰の作品の一つだと思います

これら3つの条件のうちどれか1つでも当てはまる人は、天才と言っていいのではないか。それはそうなのですが、最近僕はその3つの背後に隠れている、もっと大きな天才の条件があるように考えています。

教育ジャーナリスト小林哲夫の著書に「神童は大人になってどうなったのか」(朝日文庫)があります。ここで言う神童は天才とはちょっと違って、子どもの頃に猛烈に勉強ができた人というくくりなのでちょっとスケールが小さいのですが、小林は神童たちの中にある共通点を見出しています。それは自分なりの勉強法を自分ひとりで見つけ出し、独学で習得するというところです。

そのくだりを読んだ時、僕はジャズピアニストのハービー・ハンコックが雑誌の中で語っていたことを思い出しました。ハービーは上に挙げた3つの条件で言えば3つ目の人で、現在のジャズピアニストで彼の影響を受けていない人はいませんし、『処女航海』というアルバムはジャズという音楽に新しいフェーズをもたらしました。

ハービーの百年に一枚レベルの傑作、処女航海。一家に一枚。ぜひ買ってください

僕が思い出したのは、昔僕も書かせていただいていたジャズ批評という音楽雑誌に掲載されていたインタビュー。まだ何者でもなかった学生時代のハービーは、自分の練習をひたすら録音してそのテープを聴き返し、自分の憧れのジャズピアニストの演奏とくらべて何が違うのかを比較する、という練習ばかりやっていたと言うのです。

天才はよく「まず最初に努力の天才」と言われることも多いです。小林さんの言う神童もハービーも「反復」しているのは間違いないので、こつこつと練習や勉強を続けられることが天才たるゆえんなのでしょうか。でも「独学」のキモはそこではないと思います。肝腎なのは「自己評価と他人からの評価の差がゼロに近い」ということじゃないかと。

一般的に、人は自分に甘いです。ついつい自分に期待しがちだし、ゆるく評価してしまうもの。逆に他人に対する評価は厳しいですよね。自分のことを棚に上げて人のことを口さがなく言うのがふつうの人間です。でも天才は自己評価がものすごく厳しい。自分の何が悪いのか、他人と同じ目線で客観的に見ることができる。こんなに努力したんだから少しは甘い点をつけたっていいだろうという発想がない。

ハービーの練習を例にとると、おそらくふつうの人はプロの演奏と自分の演奏の「何が違うのか」とかがはっきり見えないし、「俺の演奏だって捨てたもんじゃない」とか思ってしまう。ハービーのやり方を真似してもたぶんダメなんですね。そして何より、自己評価が厳しいとそんなダメな自分に何度も何度も向き合うのはつらい。それに耐え抜く精神力も必要です。そんなことができる人は、遅かれ早かれ必ず偉業を成し遂げる。自分に激甘な凡人の僕は、そう思っています。

僕の考えたこの4つ目の天才の条件をリンゴ農家の人たちに当てはめてみると、新しい品種を開発する人は天才と言っていいんじゃないか。新品種の開発にはまず、これをやっていれば必ずいいものができるという「メソッド」がない。ひたすら試行錯誤を重ねて正解を探り当てるしかありません。そして「そこそこのもの」を作ってもしょうがないのです。出来上がったものに「まあまあの味だから、まあいっか」的な自己評価を下しても売れないし「新しいからっていいわけじゃない」と酷評されてしまいます。

2019年に品種登録された新品種「華宝(かほう)」

新種開発に一発で成功する人はいないでしょうから、何度も何度もやり直すしかない。正解は自分で見つけ出すしかない。そして失敗のたびに何が悪いのか徹底的に向き合って、完成品と思われるものができてもクオリティについて一切の甘えを許さない。そして農業は、最低でも数ヵ月経たないと今のやり方が正しいのどうか結果が出ません。反復をスピードアップさせることができないのです。

なんて遠く厳しい道のりでしょうか。こんな試練を勝ち抜いた人たちは天才に決まっています。そしてもっと言うと、すべてのリンゴ農家は毎年自然と自分の作業に向き合って味に妥協せず作っているのだから、そもそもみんな天才なのかもしれません。ふだん僕たちがスーパーで何気なく「ふうん、こんなの作ったんだ」と見ている新品種は、天才の偉業なのです。

2021/8/30

Profile

オラシオ

ポーランドジャズをこよなく愛する大阪出身の音楽ライター。現在は青森市在住。

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